②私は、ドレス制作の技術をどこでどのようにして学んできたのか?


何かを学ぶときは、その時代の、一番素晴らしい先生から学ぶということが大切だと私は思っています。当時は、伊藤茂平先生が何と言ってもダントツで、その他の洋裁学校は、「花嫁修業」の専門学校と言う感じでした。今では、すっかり様変わりましたが…。伊藤茂平先生のところはスパルタ過ぎて、眼が回るような感じではありましたが、今でもその理論は素晴らしいと思っています。

 

ただ、現実的にその理論を使うことは、余りに難しく、時間が掛かるので、実用的ではないという部分もあります。実際には、もう少し難易度の低い理論を自分なりに修正しながら使わせていただいています。

 

28歳ぐらいから、周囲の方々に懇願されて、洋裁教室を始めたのが、この仕事を始めるきっかけでした。それまでは、大好きな趣味として、学び続けていましたが、結婚して2人の子供を授かり、下の子供が3歳になるまでは、べったり子供と一緒の時間を過ごすと決めていましたので仕事にはしていませんでした。それまでは家族や友人に頼まれて、いろいろ縫ったりはしていましたが、今から思いますと、当時はまだ、素人に毛が生えたぐらいの技術レベルでした。

 

 

洋裁教室を始めてみたら、やはり好きなことですので、夢中になりました。そして、自分の未熟さを突き付けられたのです。そこで、また、当時の最高の先生に学ぶという実力行使に出ました。そして、当時ナンバーワンだった細野久先生から、プロだけが学びにいける、立体洋裁講座に学びに行きました。当時は、私は神戸のすぐ近くの西宮に住んでいましたが、毎月1回、1泊2日の講座に、新幹線に乗って東京の渋谷まで通いました。

 

やはり本気で学ぶことは、何よりも身につきます。その学びがその後の私の人生で本当に役に立ってくれました。残念なことに、4年ぐらい学んでいた頃に、細野先生が、沖縄でトローリングの最中に、心臓発作で亡くなられるというショッキングな出来事があり、学びはそこで終了してしまったのです。

 

今でも、細野先生から学ばせていただけたことが、私の現在を作ってくださったと思い心から感謝しております。

 


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